日本ホーリネス教団
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礼拝メッセージ
神の全き愛
聖書 ヨハネの第一の手紙4章13~22節 (栗田 征雄 牧師)
まず、「神の全き愛とは何か」と言うことですが、4:18を見て下さい。「愛には恐れがない。完全な愛は恐れを取り除く」とあります。この「完全な愛」は、「全き愛」であり、「全うされた愛と言うことです。これは神様の愛と言うことです。私達は、とてもではありませんが、神様に似る者になる事は出来ない者であると、最初から諦めてしまう者ではないでしょうか。最初からギブアップしてしまい駄目な者と思い込んでしまいがちです。
けれども、イエス様を受け入れて、イエス様と共に歩んでいくうちに、神の愛が与えられ、愛が成長して、知らないうちに、敵をも愛することが徐々に出来る様になっていきます。よく飼われた動物は飼い主に似た者となっていくと言われ、事実その通りになっているのを見ます。また全ての人間もその交わる共によって、またその指導者に似た者となっていきます。
ヨハネは、どんなにそのことを強調しようとしたことか、と思います。全き愛であるイエス様と交わっていきますと私達も確実に似た者となっていくのです。ヨハネの福音書13:1には、十字架に掛けられる前の晩に、イエス様が弟子達を集めて話をされた時のことが出て来ます。「過ぎ越しの祭りの前に、イエスは、この世を去って父の身元に行くべき自分の時が来たことを知り、世にいる自分の者達を愛して、彼らを最後まで愛し通された」とあります。世にある者を愛して極みまで愛した、とあります、この「極みまで」と言う言葉は、「ずっと遠くまで、永遠に」と意味であると言うことです。これを時間的に表現しますと、「私はあなたを愛し、あなた方を永遠にまで、最後まで愛し抜いた」と言う事です。
ヨハネの福音書3:16には、「神は実にその一人子をお与えになったほどに世を愛された。それは御子を信ずる者が一人として滅びる事なく永遠の命を得る為である」とあります。ここで神がなぜ私達に神の子イエス・キリスト与え、私達の罪の為に身代わりの死を遂げさせ、復活させて下さったのかの本当の意味が短く纏められています。それはイエス・キリストを信じる者が一人も滅びることがなく永遠の命を与えて下さる為であることが分ります。
そして、ヨハネが福音書の後に書いたヨハネの第一の手紙、3:16の中で、福音書を完成された後の私達の状態を書き表しています。「主は、私達の為に命を捨てて下さった。それによって愛と言う事を知った。それゆえに、私達もまた、兄弟の為に命を捨てるべきである」と言っています。
ここで私達信仰者は、兄弟の為にイエス・キリスト同じように命を捨てるべきであると言っていますが、ここでの命を捨てると言うのは、自己中心の自我を完全に主に委ねて、自我のない愛で兄弟を愛すべきであると言っているのです。命を捨てると言うのは罪に満ちた汚れた命を捨てて純粋の愛で兄弟を愛すると言う事なのです
ヨハネは4:7~21までで「愛」と言う言葉を、30回近く使っていますが、ただ愛されたらよいと言うのではありません。愛がどこから出てくるかと言うと、4:12で「神を見た者はまだ一人もいない。もし私達がお互いに愛し合うなら、神は私達の内にいまし、神の愛が私達に全うされるのである」とあります。今年の私達の教会の年間聖句は、第一ヨハネ4:16です。「神は愛である、愛のうちにいる者は神の中におり、神も彼に言います」とあります。神は愛ですから、愛の内にいる者は神の内にいる。神に似た者となっているという事です。私達は決して神に似る者となれることを諦めてはならないのです。
[2015年1月1日 元旦礼拝]